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私の「遠隔」基礎ゼミ (1)―「青空文庫」は宝の山(山田昇司)

山田昇司

 今年度わたしは6名の学生の基礎ゼミを担当することになった。以前にも数回この演習を担当したことがあるが、今回はコロナ禍のために「遠隔授業」という形態でのゼミになった。この投稿ではそのゼミの中間報告を3回にわたって行う。

 ゼミ生との最初の出会いはあわただしかった。オリエンテーション会場から山田の部屋に移動し、簡単な自己紹介、入学前の課題や書類を集めて、最後にこちらの名刺を渡しただけの、正味10分足らずの出会いだった。ゼミ生はその後、前期の全ての授業を自宅で受けることになった。近くの学生が2名いたが、あとの4人は郡上市、熊本・鳥取・神奈川の各県に帰省していった。

 さて、遠隔授業は教材をどうするかが最大の問題だった。テキストを買わせるにしても少し時間がかかるし、何かを印刷して送付することも著作権の問題をクリアできない。いろいろ思案しているうちに、WEBにある著作権フリーの「青空文庫」を使うことを思いついた。これなら、学生はPCやスマホから自由にアクセスできる。またWEB上には「朗読音源」があることもわかった。

 そこで前期のゼミの前半は、その文庫から適当な短編を選んで文学作品(短編)を楽しみ、後半は統一テキストを各自で購入してそれを少しずつ読んでいくという計画を立てた。毎週水曜日23:59までに提出するレポートは、この文学作品の感想に加えて、「授業報告(どれでもひとつだけ)」「近況報告」を加えてA4用紙1枚分になるようにと指示した。

 今回、紹介するのは芥川龍之介の短編「トロッコ」を読んだ学生の感想文である。私は最初の学生の文を読んでこの短編の舞台が彼の出身地であることが分かった。もうひとつの作文を書いた学生は地元の学生であるが、自分が小さい頃に何度も新幹線を見に行った思い出と重ね合わせて主人公の気持ちを理解しているところがなかなかユニークである。


 芥川龍之介の「トロッコ」は彼の中期に書かれた短編小説で、名作として知られている。今回のレポートで中学生の時に授業でやったのを思い出しました。中学時代には何も関心は無かったのですが、物語の舞台になっている神奈川県小田原と熱海間軽便鉄道敷設工事というのは実際にあったものらしく、今も小田原には旧駅跡が残っていて当時の写真も残っているようなので、機会があれば実際に行って見てみたいと思いました。行ってみれば「トロッコ」を違う観点から読むことが出来ると思いました。

 最初8歳の良平が以前から興味のあったトロッコに乗って遊んでいたが、土工に怒鳴られてトロッコに乗るのを諦めていた。ところが、それから十日あまり経ってからまたトロッコがある工事現場に行き眺めていると、トロッコを押している二人の男たちが来てもう一度トロッコに乗ることができた。「いつまでも押していい?」と聞くと「いいとも」言われた。

 去年の暮に母と岩村と言うところまで来たが、その道のりの三四倍ある茶屋まで来たところで良平は不意に「われはもう帰んな」と言われる。今日はその道を歩いて帰ればならないとその一時で分かり、ほとんど泣きそうになった。「なんでだよ」という気持ちのやり場がなくなり、良平はトロッコには乗れずに一人で走って帰らなければならず絶望感に苛まれる。

 自分一人で物事を解決していかなければならないと強制的に立たされるのは、大人になり一人でこの社会を生きて生活して行かなければならないという点が人生に似ていると思います。だから26歳の良平は物語の結末で子供の頃のトロッコの経験と今の人生を重ねて全然何も理由が無いのに当時見た「薄い藪や坂のある路が細々と一すじ断続している」のを思い出すのだと思います。

 「われはもう帰んな」言われたのは、これからは自分で解決しろと言う事だと思います。芥川龍之介は人生の生き辛さや不平等などがあるが自分で乗り越えて行けとこの作品で言ったのだと思います。(伊豆野廉)


 芥川龍之介のトロッコを読んで、幼い時の思い出というのは、どうしても忘れることができないものがあり、時々ふとした時に、その思い出がよみがえる瞬間があると思う。それが作中の良平にとっては、8歳の時のトロッコの思い出だったんだろうと思います。

 工事に使われるトロッコが幼き良平にとっては、とても興味深いものだったんだなと思う。自分も幼少期、新幹線が大好きで何回も見に行っていた。だから、トロッコを見たい、乗りたいという良平の気持ちはすごくわかる。そして、良平はその欲望に耐えられなくなって、手伝ってくれそうな男2人を捕まえて、悪巧みをした。そして、狙いどおりトロッコに乗ることができた。最初はいつまでも押させてもらえるのかと思っていたが、いつまでも押していたいという気持ちになった。思った以上に長い時間トロッコを触っていられた。

 だが、ふと良平はいつになったら帰られるのかを考えだす。ついに日が暮れるころになってから土工たちに「もう帰っていいぞ」「親御さんが心配するだろう」と言われた。ここへきて1人で帰らなければいけないことに泣きたい気持ちをこらえながらただただ走った。

 自分がもし同じような状況だったらどうだろう。自分がここまで3人で力を合わせて進んできた遠い道のりを、1人で歩いて帰らなければいけない。そんなことを考えたら、とてもとても心細いことだと思う。泣きたい気持ちをこらえながら、一生懸命帰りの道のりを走って帰る良平。もらった菓子も捨て、草履も脱ぎ捨てて走る。それだけ、必死に走って、命だけでも助かればと思うほど彼は心細く不安だったのだと思う。

 26歳になった良平は、妻子をもち東京に出て雑誌社で校正していた。土工とは全然違う仕事を始めたわけだが、それでも時折トロッコに乗ったことを思い出すことがあると書かれていた。これは、きっとあの1人必死に走ってかけた帰り道のことだけでなく、背の高い土工に怒られたこともすべて含めてだと思うのだが、特に走って帰ったあの帰り道の心細さや、先の見えない不安感をまるで人生の未来の見えない感じと重ねているのだろうなと感じた。きっとこれから先も、良平がそういう場面に立ち会った時、思い出すのではないかと感じた。(四井太智)

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