経営学科1年 西脇 文音
関ケ原古戦場記念館にて
関ヶ原の戦いは慶長5年(1600年)の9月15日に起こった。西軍は大将を石田三成とし、笹尾山を拠点に約8万の兵士を連れていた。東軍は大将を徳川家康とし、桃配山を拠点に約7万の兵士を連れていた。東軍が西軍に攻撃を仕掛けたことにより始まり、6時間で決した。小早川隊は、最初、西軍と東軍のどちらにつくか決められなくて、戦の半ばから東軍側についた。結局石田三成が敗走したことにより決着がついたが、その後でも島津隊が諦めずに戦い続けた。これらを知ることができた。
以前は石田三成と徳川家康だけの戦いだと思っていたけど、この戦いの中には小早川秀秋の選択における優柔不断さや、大将が逃げてもなお戦い続ける島津義弘のとても熱い想いがあり、興味深い戦だと思った。
岐阜市歴史博物館にて
博物館では以下のことを学んだ。①壬申の乱(672年)の後、新政権と、その誕生に功績があった美濃地方の豪族との間には深い関係があった。②東海地方では平安時代から鎌倉時代にかけて各地に窯場が成立し、中世窯業ができた。③室町時代に美濃を支配していたのは守護大名の土岐氏と守護代の斎藤氏だったが、土岐氏は船田の乱(1495-96年)などで勢力を失っていった。あの斎藤道三は「下剋上」をモットーにしているような武将であった。岐阜城が関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台となっていた。④美濃は古代から製紙の先進地であり、美濃和紙は日用品として使われた。また、美濃では刀もよく作られていた。⑤明治24年(1891年)10月28日の6時37分に震源地が根尾村水鳥のマグニチュード8.0の濃尾震災が起こった。
展示品の中では、保存されていた古い書物が一番印象に残った。何百年も前の物なのに何が書いてあるかもしっかり見ることができ、破れていたりするところも思ったより少なくて驚いた。物によっては何が書いてあるのか理解をすることができた。
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