山田昇司
連載 第2回
3.翻訳ソフトと英語の授業
前節で述べた「母語思考(母語記述)」→「英語表現」という順序は看護学科のエッセイ・ライティングでも適用することを考えていた。ただ、このクラスは47名が登録しており、また配当できる時間も5コマしかなかったので、教師による「英訳添削」というのは物理的に無理だった。そしてそれが私に翻訳ソフトの導入を考えさせたもう一つの大きな理由であった。
しかし、翻訳ソフトから出てきた英文をそのまま載せるだけでは英語力をつけることにはつながらない。そこで出てきた英文を一文ずつ日本文と対比させ、かつ英文には記号づけをさせて提出させることにした。記号づけとは、英文構造を可視化するもので、動詞にマル、準動詞に右半マル、埋め込み文に[ ]などをつけることである。前半の10コマでは読み終わった文献を用いて記号づけの小テストを毎時間おこなっていた。(この記号は寺島隆吉氏(元岐阜大教授)と寺島美紀子氏(本学名誉教授)が考案したものである。詳しくは『寺島メソッド 英語アクティブ・ラーニング』(寺島隆吉・監修、山田昇司・編著、明石書店2016)をご覧いただきたい。図書館にも入っています。)
提出されたレポートの中の英文の記号づけを私はまるまる二日間を費やして添削したが、そのときに気づいたことがある。ひとつは、学生たちは自分の書いた日本文の英訳なのに、つまり、出てきた英文の意味は分かっているはずなのに、その英文の構造を示す記号を正確につけられないということである。統語構造が異なるので当然と言えば当然の結果なのだが、前半に行った既習英文の記号づけテストだけでは(学生たちは満点をめざして何度も再試を受けていたが)まだまだ不十分だったと反省させられた。
4. 翻訳ソフトは「考えない」
そしてもうひとつ気づいたことは、翻訳ソフトが意外なところで誤った英訳をすることだった。そこで私はこの誤訳の考察を研究所の掲示板に投稿した(2020/01/29)。以下はその概要である。
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1 一文一文を別々に翻訳している。ひとつ前の文で主語が明示してあっても次の文には反映されない。
一年間さらに厳しい授業に耐え抜いた私は絶対に受かると思っていた。
しかし合格点にわずか1点届かず不合格になってしまった。
After enduring a year of tougher classes, I was sure I would pass.
However, he failed because he failed to get a passing score. (みらい翻訳)
2 埋め込み文における省略された主語を適切に補えない。よって正確な英訳ができない。
私は祖母が手術を受けると聞くまでは大腸癌だとは知らなかった。
I didn’t know I had colorectal cancer until the day my grandmother heard that she was going to have surgery.(みらい翻訳)
I didn’t know that I had colorectal cancer until I heard my grandmother had surgery.
(グーグル翻訳)
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今回、この原稿を書いている時点(2020/08/05)で再び同じ文を翻訳ソフトにかけてみると次のような英文が出てきた。半年の間に翻訳ソフトはデーターを蓄えて進化していることが窺える。
(1) I didn’t know I had colon cancer until I heard that my grandmother had an operation.
(みらい翻訳)
(2) I didn’t know it was colorectal cancer until I heard that my grandmother had surgery.
(グーグル翻訳)
ここでもうひとつのソフトの翻訳を紹介しておく。DeepL翻訳である。このソフトの存在は研究所の主催する近況報告会(2020/05/24)のときに寺島美紀子先生から教えていただいた。
(3) I didn’t know my grandmother had colon cancer until I heard she was going to have surgery.(DeepL翻訳)
この日本文は以下のような複雑な埋め込み文の構造をもっているが、正確に翻訳するにはその構造を認識し、* 印のところで省略されている主語を文脈から考える必要がある。
私は [[[祖母が手術を受ける] と * 聞く] 日] までは * 大腸癌 だ ]
とは 知らなかった。
(3)の翻訳ソフトは「祖母が手術を受ける」から「大腸癌に罹っているのは祖母」だと判断したのだと推測される。また(2)のソフトは少なくとも「私」ではないと判断したものの「祖母」だとは決めきれずに無難な「状況のit」を選択したのだろう。
いま私は「判断した」「決めきれずに」「選択した」という言葉を使ったが、これはあくまで私の目から見た分析である。AI(人工知能)がそのように思考したのではない。膨大なデーターと照合した結果が、そう思考したように見えるにすぎないのである。
AI翻訳は「理解している」のではなく膨大なデーターと「照合している」だけであることを示す例のひとつが、新井(2018:150)に紹介されている。グーグル翻訳が翻訳精度を上げるために採用している「情報修正の提案」に関する話である。
出力された翻訳文の下方に鉛筆のアイコンがあり、翻訳が間違っていると思ったらそこに修正案を書き込むことができるのだが、あるとき筆者(新井)が「ぐーぐるほんやく」と入力すると放送禁止用語が現れたり、「やふーほんやく」と入れると「×」が表示された。誰かが悪戯したに違いないと思い、その事実をツイッターに投稿すると大騒ぎとなった。その誤訳はすぐに修正されたのだが、その後も「ぐーぐるほんやく100」などと入力すると奇妙な翻訳が出てきたという。
これは統計的機械翻訳の限界を示すエピソードである。翻訳ソフトは「考えない」のである。
5.誤訳を少なくする工夫
翻訳ソフトは確かに便利な道具であるが、ときおり出てくる誤訳を見破るための日本語力と英語力が必要になる。が、また同時に、その弱点をふまえた入力の仕方を学ぶことも有益である。先の研究所掲示板への投稿では「述語に対応する主語を全て補う」ことをひとつの方法として提示したが、こうすると以下のようなミスのない英訳が出てくる。
私は祖母が手術を受けると私が聞く日までは彼女が大腸癌だとは知らなかった。
I didn’t know that she had colon cancer until the day I heard that my grandmother had an operation. (みらい翻訳)
I didn’t know she had colon cancer until the day I heard my grandmother had surgery.
(グーグル翻訳)
もうひとつの方法としては、入力する英文を分割することである。例えば、「祖母は大腸癌だった。私は彼女が手術すると聞くまでそのことを知らなかった。」とするのである。つなぎ言葉を適切に入れるのがポイントである。すると、次のような、かなり正確な英訳が出力される。
祖母は大腸癌だった。私は彼女が手術すると聞くまでそのことを知らなかった。
(1) My grandmother had colorectal cancer. I didn’t know until I heard she had surgery.(グーグル翻訳)
(2) My grandmother had colon cancer. I didn’t know that until I heard that she was going to have an operation.(みらい翻訳)
(3) My grandmother had colon cancer. I didn’t know that until I heard she was going to operate on it.(DeepL翻訳)
なお、(3)の翻訳については、「彼女が手術をする」が she was going to operate on itとなっており正しい翻訳とは言えない。「彼女が手術する」だけを取り出すと「彼女が手術を受ける」と「彼女が手術を行う」の2つの意味に解釈できるのだが、「DeepL」は文脈を考えられないので正しい方を選べないのだ。ただ正訳だった他の2つのソフトも文脈を理解しているとは言えない。単に参照データーで多い表現を採用したにすぎない。
文の分解の方に話を戻すと、いまこの投稿を読んでいる人が1年生だったら、遠隔授業の最終回前半(英語Ⅰ)に出てきた日本文の分解練習と同じだと気づくかも知れない。シナリオに載っていた英訳に対して修正意見がいくつか出されてどんどん変わっていったことを覚えていませんか。
岐阜には [かつて信長が住んでいた] 岐阜城がある。
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岐阜には岐阜城がある。そこにはかつて信長が住んでいた。
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Gifu City has Gifu castle. Nobunaga once lived there. (シナリオの英文)
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Gifu City has a castle called “Gifu-jo.” Warlord Nobunaga once lived there. (完成版)
(続く)
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