経営学部 櫻木晋一
今回は、イタリアでの調査について紹介したいと思います。コロンブスの出身地として有名なイタリア北部の都市ジェノヴァには、キヨッソーネ東洋美術館があります。明治初期に日本で活躍したお雇い外国人のエドアルド・キヨッソーネ(1833-1898年)は、明治8年(1875)に来日し、大蔵省紙幣寮で紙幣の製造に従事しました。明治政府は近代国家をつくるために、江戸時代の複雑な貨幣制度を改め、明治4年(1871)の新貨条例によって円・銭・厘という新貨幣単位を採用しました。あわせて、各地で使われていた藩札を廃止して、国家による紙幣の国産化政策も進めました。そのために、キヨッソーネは新しい凹版印刷・製版技術を伝え、日本の紙幣製造技術を世界水準に高めました。彼は日本をこよなく愛し、現在は東京の青山墓地に眠っています。彼が収集した仏像や浮世絵などの伝統的日本美術品を展示しているのが、この美術館なのです。

キヨッソーネは近代日本紙幣の生みの親として知られており、ここには日本貨幣が収蔵されているのではないかと考え、確認のメールを送ったところ、あるとの返事だったので調査に出かけました。結果は、珍しいコインを集めたコレクションというより、出土した銅銭が大半で、金貨・銀貨はあまり含まれていませんでした。そこで、彼が紙幣関連の人物であることから、ここでは初公開となる藩札類の紹介をすることにします。

一冊のクリアファイルブックに収められていた藩札類は、明治初期の紙幣まで含めると83枚ありました。学芸員の許可を得てスナップ写真を持ち帰り、日本で整理・同定をしたところ、いわゆる藩札類は68枚で、太政官札や明治になって発行された為替会社や開拓使兌換証券などが15枚含まれていました。各藩が領国内で使用することを前提に発行された藩札類は、北は秋田・仙台から南は福岡・佐賀までそれぞれの枚数は少ないながらも網羅されており、安政元年(1854)の山田羽書も1枚含まれていました。山田羽書は日本最古の紙幣であり、1610年頃には発行され、7年に一度改札がおこなわれる信用力のある私札なのです。おそらくこれらは、キヨッソーネが近代日本紙幣のデザインを考える上で参考にしたのではないかと思います。彼の代表的な仕事は、神功皇后像や大黒像をデザインした横型の紙幣を製作しており、美術館内にもその説明板があります。


日本のお札の形状について解説すると、藩札類と明治5年(1872)発行の明治通宝までは縦型の紙幣で、今日われわれが使用している人物像などが描かれた横型の紙幣になるのは明治6年以降のことなのです。さらに、大蔵省紙幣局ではたばこの箱に貼る印紙や地券などの有価証券も印刷していたので、それらの貴重な原品も初めて見せてもらうことができました。日本の近代紙幣は、イタリア人によって基礎が作られたことを記憶しておきたいものです。


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