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貨幣調査よもやま話④ ~韓国編~(櫻木晋一)

 櫻木晋一

 今回は隣国である大韓民国での調査についてお話します。韓国は中国の影響を強く受けている国ですが、貨幣制度については、初めて発行された東国通寳(1097年初鋳)以来、銭貨が断続的に発行されていたものの、意外なことに17世紀までは木綿布を貨幣として使用していた国なのです。つまり、中世の朝鮮半島では金属製のお金は基本的に流通しておらず、常平通寳(1678年初鋳)が発行されて以降、日本での寛永通寳(1636年初鋳)と同様、銭貨が広範に流通するようになりました。

 さて、ソウルの国立中央博物館と木浦の国立海洋博物館(写真1)には、日本でも有名な新安沈船が展示されており、私はそれに積まれていた銭貨の調査に出かけました。この沈船は至治3年(1323)に中国の寧波を出帆し、日本の博多に向かっていたのですが、台風か何かの理由で朝鮮半島南西端に近い新安沖で沈んだものです。大量の陶磁器などとともに28トンもの銭貨が船底付近に積まれていたことから、これらはバラスト(=船を安定させるおもり)としても機能していたことが分かります。中世の日本では貨幣が発行されておらず、通貨の供給を中国に頼っていたため、これらの銭貨は日本にやってくれば通貨としても使用できる優れモノなのです。この銭貨から、一隻の船に積まれていた数量が推定できると同時に、どのような種類の銭貨が輸入されていたのかも分かるので、日本史にとっては貴重な資料なのです。もしこの船が沈没していなければ、日本国内で流通していた商品や貨幣(写真2)が韓国の博物館に展示されているのです。

 一点だけ専門的なことを述べると、これらの銭貨の中に当十銭(一文銭の10倍通用)などの大銭と呼ばれる外径の大きなものが大量に含まれていました(写真3)。通常の一文銭は2.4㎝なので、大銭はずいぶん大きく感じます。これまでの研究成果から、中世の日本では大銭は使用されていないことが分かっており、使えない大銭を輸入していた理由を考えなくてはなりません。おそらくこれらを鋳潰して、仏像や仏具などの原料にしたものと推測されます。新安沈船は、海外にある資料から日本史の一コマが復元できる実例なのです。日韓両国の協力で歴史研究が進展することを祈るのみです。

写真1 沈没船の展示(筆者撮影) 

 船底部分の残った木材を鉄骨で補強し組み立てている

写真3 崇寧通寳(1103年初鋳)当十銭(外径3.5㎝)

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