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勤続20年(畦地真太郎)

 今までの人生で表彰されたとか賞を貰ったとかいう経験が2回しかない。1回目が10年前の朝日大学勤続10年表彰で、2回目が今年度初めにいただいた勤続20年表彰である。しかも、学外会議への参加の都合で表彰式に出席しないという体たらく(理事長先生、無礼を働き再度本当に申し訳ありません)。幼い頃からフラフラと一つところに落ち着かず、辛抱もこらえ性もないこの私が、まさか朝日大学という1つの職場に20年も勤めることになろうとは思ってもいなかった。こんなに長い間、よく自分のような者を雇ってくださっている職場に感謝である。

 これはもう学内あちこちで言ってしまっていることなので、ここに書いてしまってもいいと思うが、本当は着任時には腰掛けのつもりで、3-4年勤めて論文を溜めて、関西方面の大学に逃げようと思っていた(笑)。前職は故郷・札幌の大学勤務(ここも3年で辞めた)だったのだが、海外出張がしづらい(関空に前泊する必要がある)など、やはり北海道勤務ということに限界を感じたところがあったから。そして岐阜なら関西方面の研究会や学会にも参加しやすく、人的なコネクションも維持しやすいと思ったから。そして研究職というのはガリガリ論文を書いて、少しでも条件の良いところに移っていくのが当然だと思っていたから(これは今でも思っている)。ところが、研究の変遷や何やかにやですっかり関西方面の人脈も途絶えてしまった。むしろ岐阜県内・瑞穂市内での人脈の方が大きな比重を占めるようになり、今さらどこかへ行こう(逃げよう)などとは思えないような状況になってしまっている。麦の唄。

 「教師生活25年」という名台詞には、あと2年ほど足りないが、そろそろ教える内容も体系も固まってきて、ベテランという域に入ったのだろうという自覚はある。ところでど根性ガエルの町田先生って、23歳で教鞭を執り始めたと考えると、作中48歳で、畦地より5歳も若いんだよな。ベテランといっても、全然あんな感じには落ち着けない。ちょうど残り10年で定年(雇用延長も伏してお願いいたします)。その間、何事もなく、暴れ牛扱いされることもなく勤め上げたいものである。最終講義は「シラバスなんかいらない。バリッとした学者がいればいい」で。このへんの日本の高等教育と研究環境の変化も、他に移らなかった遠因となっているのだが、その話はこの欄ではないどこかで。

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