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歴史的背景や貿易の特徴からみたホノルル港の特色(経営学部経営学科3年 田中皓基)

要旨

オアフ島は有名なリゾート地として、世界各国から多くの観光客が訪れる島である。また、オアフ島にあるホノルル港は、ハワイ州の主要な港であり、現地住民の生活や観光業を支えている。オアフ島は、島であるため、アメリカ合衆国本土または外国から生活必需品などを輸送するときは、航空機か船が必要となる。そのためホノルル港は、一般的な港とは違った特色があるのではないかと考えた。本稿では、どのようにホノルル港ができ、現在の主要港になっていったのか。そして、戦前・戦後のホノルル港の役割などの歴史的背景や現在の貿易の特徴からホノルル港の特色について示す。

キーワード:ホノルル港 移民 世界大戦 貿易赤字 リゾート地 貿易相手国

  1. はじめに

 2022年8月28日から9月18日の22日間、ハワイ大学マノア校Outreach Collegeの短期海外研修に参加し、英語の学修だけでなく、ゼミで専攻している物流に関する研究をする機会を得た。

 そこでオアフ島の人々の生活を支えている、ホノルル港に着目した。島であるため、アメリカ合衆国本土または外国から生活必需品などを輸送するときは、航空機か船が必要となる。そのため、一般的な港とは違った特色があるのではないかと考えたからである。そこで私はホノルル港周辺やアロハタワーを訪れた。

 本稿の目的は、ホノルル港の起源から検討し、特に戦前・戦後のホノルル港を比較し現在のホノルル港に至るまでの背景を捉えていくことである。また研究の中で現在のホノルル港の輸出入貨物の内訳を検討し貨物の特色についても検討する。この上で、輸出額、輸入額も検討し比較を行いハワイの輸入に対する依存度を明らかにする。

2. ホノルル港の歴史的背景

2.1 ホノルル港の位置

 ホノルル港(1)はオアフ島のホノルルに位置し、ハワイ州では最も主要な港である(図表1)。堅田(2015)(2)によれば,ハワイ諸島はアラスカ湾の南方、ユカタン半島のちょうど西方にあり、同諸島すべてが熱帯に位置している。ホノルル港についてはサンフランシスコの南西2100マイル、パナマから4685マイルの距離にある。また、ハワイ諸島は横浜から3400マイル、シドニーから4410マイル、マニラから4685マイルの距離に位置しており、極東と南北アメリカの交差する場所に存在する。

図表1 ハワイの地図(1) 

2.2 ホノルル港の起源

 Harbors | History(3)によると、ホノルル港はもともとウヌアヌ渓谷の小川から淡水の自然の流れによって作られた小さなサンゴ礁の盆地にあった。そこは自然にできた深い水路だったため、当時の船乗りたちに好まれた。ハワイの人々はそこをケ・アワ・オ・コウ(Ke’Awa O Kou)または「コウの港」と呼んでいたが、1796年イギリス船の船長が港を「Fair Haven」改名し、ハワイ語に翻訳し「ホノルル」と呼んでいたという。このことからホノルル港は約220年前から船が多く集まる場所になった。

 その後1898年8月12日にハワイはアメリカ合衆国に併合され、アメリカの港となる。このように、1900年までに港の東部の大部分は埠頭、桟橋、その他海上支援施設で開発された。港の西部に関しては民間企業によって開発された特徴がある。

2.3 日本とハワイの初期のつながり

 日本とハワイは明治時代からつながりがあった。村上(2016)(4)によると,1868年(明治元年)、日本人153人が初めてオアフ島に上陸し、甘蔗(サトウキビ)の栽培に携わった。しかし環境は劣悪であった。ハワイに上陸すると移民はサトウキビ農園に振り分けられ、それぞれの地で石を積み上げて石垣を作り、サトウキビの葉を屋根に葺いて家を建てるところから始めた。ルナと呼ばれる白人の監督官のもと、男たちはケーンナイフでサトウキビをひたすら刈り取り、女たちは刈り取られたサトウキビの枯れ葉を手で剥がすきつい作業を「ホレホレ」と呼んだ。炎天下の中で苦役に耐えながら、誰からともなくうたわれ始めたのが「ホレホレ節」であったという。このように日本とハワイのつながりは初期移民を送る関係から始まった。村上(2016)には、なぜ日本人がオアフ島へ行ったかは示されていないが、当時から日本との交流があることが考えられる。また、日本とハワイのつながりは、大戦によって途切れてしまうが、大戦が終わり日米関係が改善されると、再びつながり関係性を強めている。

2.4 戦前・戦後のホノルル港

図表2 現在のアロハタワー(筆者撮影) 

 Harbors | History(3)によれば、第一次世界大戦中(1914~1918)戦時中になると港湾活動は大はばに減少し、全ての輸送船の大多数が大西洋で兵役をするために徴兵される。海上貿易の減少は生活必需品の価格高騰につながり、多くの人々が苦しむことが、その後戦争が終わり1920年代になりハワイは人気のある観光地になる。観光客はクルーズ旅客船で行き来をし、港周辺はにぎわい、活気があふれる。1926年になるとアロハタワーが完成する(2)。アロハタワーは当時、海岸の象徴(ランドマーク)として存在感を放っていた。また灯台として使われていて船舶が安全か効率的に航行するためのサポートを行っていた。そして見晴らしのいい場所だったため、港湾管理のために使用されていた。内田2011(5)によるとアロハタワーが使われなくなるとホノルル港周辺並びにアロハタワーは人々が立ち寄らなくなった。しかしショッピング&ダイニング・スポット「アロハタワー・マーケットプレイス(Aloha Tower Marketplace)」が誕生し、人々の賑わいが戻ったことが考えられる。

図表3 アロハタワーの資料にあった戦時中の写真(筆者撮影)

 1939年から第二次世界大戦に入り真珠湾が爆撃された(図表3)。真珠湾の海岸は軍事活動の主要な場所だったためホノルル港は二次的な役割として使われる。その時に米軍の建設など港湾インフラの改善をした。

 1910年から1930年にかけホノルル港は浚渫され広くなり、1905年3月3日に施行された河川港湾法により20万ドルの資金が提供され、港内拡大と入港海峡口整備に使われた。米国議会はホノルル港内の幅を800フィートから1200フィートに、港入港口を200フィートから400フィートに拡大したうえで、水深は35フィートを維持すると発表した。第二次世界大戦終了後、米軍は港の所有権をハワイ州に返還した。戦後地域経済は繫栄し、ミニッツ・ハイウェイの建設などを行った。堅田(2020)(6)によれば、20世紀前半に真珠湾とホノルル港の開発が行われた。これらのことからホノルル港は戦時中に米軍によって使われ、戦争に使いやすいように変えられ、戦後アメリカからハワイ州に港が返還された時にはハワイの中で代表的な港になっていたことがわかる。

 現在のホノルル港は多くの桟橋があり、大きな港である。また著者が、港の近くを歩いてみると多くの大手物流会社があり、島の物流の中心として機能していることがわかる(図表5) 。

図表4 遠くから見たホノルル港(筆者撮影) 

図表5 周辺に集まる物流会社(筆者撮影) 

 またハワイ州には鉄道がないためすべての貨物が島内で流通される場合、トラックが利用される。鉄道も現在ハワイ島内を走る予定で建設されているが、完成予定日を大幅に過ぎているにもかかわらず、現在も完成していない。本来は2020年に完成される予定であったが現在も建設中であり、2022年に一部が開通する予定だが、全線開通にはまだ時間が必要で、全面開通は2031年になる予定である。そのためハワイ州で鉄道による貨物の運搬が実現するのはかなり先のことになるだろう。

3.現在のホノルル港における貿易の特徴

図表6 ホノルル港のコンテナによる貿易額(7)

 ホノルル港はハワイ州で最も大きく。ハワイ州の中で最も人口が多いオアフ島全体を支えている港である。生活用品などハワイにある商品の80%は輸入に頼っているため、多くの貨物を扱っている。そのため輸入額が輸出額を大きく上回っている(図表6)。WPS(7)によると図表6から読み取れるように年々輸入額が増加している。2003年から2015年にかけてコンテナの輸入量と輸出量の差は年々開いていっている(図表7)。このように輸入額が輸出額を上回る場合を貿易赤字というがハワイはこの状態がずっと続いている。ハワイ州は輸入したものの大半が観光客によって買われ、黒字に転換していると考えている。このグラフから2009年に輸入額が減っていると読み取れるが、これは観光客の減少が原因である。2008年9月15日に起きたリーマンショックにより、原油価格が高騰しアロハ航空が2008年3月に破綻しハワイへの飛行機の便数が減ったためと考えられる。このようにハワイの輸入額は観光客に大きく影響されることがわかり、リゾート地特有の特徴といえる。

図表7 ホノルル港の輸出量と輸入量の比較グラフ(kg)(7) 

図表8 ホノルル港の国別輸入額(単位:USドル)(8) 

 図表8は、ホノルル港の国別輸入額を示す。

 表よりインドネシアからの輸入が最も多いことがわかる。U.S. Relations With Indonesia(8)によれば、アメリカはオランダから独立後、1949年にインドネシアと外交関係を結ぶ、そのためインドネシアは初めて外交関係を結んだ。また、それ以来アメリカとインドネシアは、2015年に U.S.-Indonesia Strategic Partnershipを結び、関係性を強めている。ハワイの貿易相手として次に多いのは日本である。それは単純に日本とハワイが近いからだと考えられる。日本とアメリカ間は第二次世界大戦後から深いつながりがあり、日米貿易協定を結んでいる。この協定では互いの国の産業が衰退しないよう特定の貨物については関税をかけるといった制度である。その次に多い貿易相手としてはロシアだが、貿易額が急激に下がっている。

4.おわりに

 本稿では、歴史的背景や現在の貿易の特徴を検討し、ホノルル港の特色として以下の5点を明らかにした。

1)戦争による効果としては、港が米軍によって使用されたことでインフラの改善や港の浚渫が行われ、戦争終了後返還されるときには戦前より規模が広がり、設備が向上した。

2)戦後から現在にかけても河川港湾法により、ハワイを代表する規模に変化していった。また港周辺にはいくもの物流会社が集まり物流拠点の中心として発展していった。

3)ホノルル港における貿易は、輸入額が輸出額に比べて極めて多い。2003年のデータでは輸入額が輸出額の5倍以上となっている。それはリゾート地として栄えているため、生産能力がなく、ほとんどの商品を輸入に頼っていることが理由である。

4)ハワイの輸入額は観光客に依存している。2008年のリーマンショックの影響を受け、アロハ航空が破綻しハワイへの便の数が減ったことにより観光客も減少し、観光客がいないとハワイ内で物が売れない構造となっている。

5)ハワイの貿易相手としては、昔からつながりが強いインドネシアと日本が特に多い。そのほかの諸外国とも貿易を行っているが、貿易額の差が約2倍開いている。

参考文献

(1) ハワイ旅行より(ハワイはこうなっている) (kuraryoko.com) (最終アクセス2022年10月7日)

(2) 堅田 義明:1930年代に至る日米貿易とホノルル港開発、名古屋商科大学論集 / 名古屋商科大学論集研究紀要委員会 編 59 (2), pp.103-121, 2015

(3)Harbors | History (hawaii.gov) (最終アクセス2022年9月26日)

(4) 村上 和賀子:ハワイ帰りの島民たち―移民の島周防大島―、人文研紀要 83, pp.181-198, 2016

(5) 内田 真仁:船から飛行機へと変遷を見たハワイ観光 観光スポット「ホノルル港」の再開発、港湾経済研究、日本港湾経済学会年報 / 日本港湾経済学会 編 (50) , pp.149-159, 2011

(6) 堅田 義明:20世紀前半における真珠湾とホノルル港開発、名城大学外国語学部紀要 / 名城大学外国語学部 編 4, pp.17-32, 2020

(7)WPS – Foreign trade at Honolulu Harbor, Oahu (worldportsource.com) (最終アクセス2022年9月26日)

(8) U.S. Relations With Indonesia –

United States Department of State (最終アクセス2022年9月30日)

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