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『経営学を学ぶ -鵺(ヌエ)と長良川-』(小畠信史)

  
経営学部長 小畠信史

鵺(ヌエ)って何だ?

 ひょっとして漫画の呪術廻戦のヌエ?などの疑問を持つ人もいるかとは思いますが、この説明は、後のお楽しみということで、とりあえずは「経営学とは何か」からお話しします。

経営学とは、実態があいまいなもの、あるいはいい加減

 私は実は大学の学部では経済学を、大学院では法学を学んでおります。当然、これら2つの学問をかじったにすぎませんが、そんな私から見ても、経済学・法学と比べて経営学の学問領域は、あまりにも広く、変化が激しく、つかみどころがない。別の言い方をすれば、いい加減です。経済学・法学のように、戦うべき場所、つまり、コート・ピッチ・土俵等のひろさを定めることなく、役に立ちそうだと思うと、文学であろうと工学・化学(バケガク)、さらには医学の知識であろうと、すべてを自らの学問領域としてしまいます。

したがって、

・吉野家の牛丼ばかりを食べている吉野家ヘビーユーザーの人々は、値下げによって牛丼が安くなっても、食べ飽きているので余ったお金をブロンコビリーのステーキに使おうとする。したがって、値段が安くなったにもかかわらず消費量は増大せず、牛丼の売上は減少する(注1)。

というような局面・条件等を限定して、すなわち自らの土俵内で、「切れのいい」議論がしづらい学問であるとの印象が、経営学にはあります。

変数a次第で、経営の結果は全く異なる

 誤解を恐れずに端的に言えば、経営学は、特に私が教えている会計学の管理会計の領域は、Y=aXの世界です。実際の式は、関数とか乗数記号がたくさんついた複雑なものですが、要は、Xという行為をすれば、必ず利益であるYは増加する、すなわち儲かるとの式で、式自体は完璧で、なるほど、これは素晴らしい研究成果だと思わせるのですが、このような式や理論には常にaという変数が付してあるのです。そして、aは環境によって変化するという逃げ道を残しています。もし、aが0.0001であれば儲けはほとんどなく、マイナスの値であれば損失が発生します。

 考えてみれば、本当に儲かる方法が存在していれば、みんな大金持ちであり、倒産する企業や事業に失敗する人などおらず、この世に貧富の格差など生じませんよね。けれども、ビジネスの世界はまさに弱肉強食で、儲けるためには何でもあり、儲けられない者は敗者として去るのみとの一面もあります。

 今日、世界が、新型コロナウィルス感染症拡大により、まさに混乱の坩堝(るつぼ)と化していることからも明らかなように、私たちを取り巻く環境は激変し続けています。このような社会に即応するための学問として、経営学がある以上、変化あるいは流動性は、経営学の宿命なのかもしれません。

 ここまでの話は、かなり私の主観が入っており、お前だけの考えではないかと反論する人もいるものと思いますので、日本を代表する経営学者、伊丹敬之氏(一橋大学・経営戦略論)と加護野忠男氏(神戸大学・経営組織論)の見解を紹介します。お二人の先生も『経営学の分野には、広く受け入れられた理論の体系というものがまだないといっていいだろう。』と主張されています(注2)。

経営学はヌエと同じ、もしくは長良川

 以上をまとめると、経営学は、「ヌエ」のようなイメージとなります。ヌエというのは伝説上の怪獣で、私、「鬼滅の刃」は全巻読破したものの、「呪術廻戦」は、まだ読み込んでいませんので、「呪術廻戦」のヌエを語ることはできませんが、正統派のヌエは、頭はサル、手足はトラ、体はタヌキ、尾はヘビ、鳴き声はトラツグミという鳥の声というように様々な動物が合体した得体のしれない妖怪で、弓の名人である源頼政(みなもとのよりまさ)によって退治されたとされています(注3)。

 昨年までは、同じ経営学を、その領域がひろく、常に変化しているため、朝日大学のかたわらをとうとうと流れる長良川で説明させていただきましたが、今年は、ヌエ・バージョンによる説明を試みてみました。美しい長良川と、得体のしれないヌエ。まさに、同じ問題、事案であっても、導き出される答えは1つではなく、人それぞれであるというのは、この「建学の精神」で学ぶことの一例です。

経営学が学問として認められる

 東大や京大、このあたりだと名古屋大学などの、いわゆる旧帝国大学系の国立大学に、経営学部や商学部がないのはなぜでしょうか? 興味のある方はあとでインターネットの「教えてグー先生」などで検索してみていただければと思いますが、明治時代に創立の起源を持つ国立大学にはおそらく「官界への人材供給」、つまり「国家を支える公務員の育成」という教育理念があり、「職業人養成の方は、一橋大、神戸大の前身の商科大学、商業大学が担当した」とか、「経済活動は、国家戦略にあっては最優先順位の課題ではない」などのアンサーがよせられていると思います。

 ひらたく言えば、金儲けは学問でなく、学問の府である大学で学ぶべきものではないとの思想が強かったということです。第二次大戦後になってようやく、アメリカの影響で、ビジネスこそこの世の最重要課題の一つで、学問として研究されるべきものだという考え方が世界中にひろく受け入れられるようになります。

 この関係で、経営学、わたしの専門の会計学でも、学問分野、学会等のトップとして大きな影響力をもたれている先生は、一橋大学か神戸大学の先生である場合が多いのです。経営学を学問として認識してこなかったこうした歴史的背景も、経営学をさらにつかみどころがないものとしているのではないでしょうか。

経営学をどのように学ぶか

 本学の経営学部は、1・2年次で学ぶ基礎となる科目を、いわゆる文系の理論科目から工学・情報系の実習科目までと幅広いものとしております。通常の大学では、これほどひろくは対応できませんが、本学の経営学部は、かつて情報管理学科、ビジネス企画学科を有していた関係で、工学、情報学、商業実務を専門領域とする教員も多くいるため、これが可能となっています。

 そして、基礎科目を学んだ後は、「マーケティング」、「会計・ファイナンス」、「国際流通」の3つのコースの中から、自らの興味、希望で1つのコースを選び、そこで、ながい将来を生き抜くための、専門的な知識、スキルなどを磨くという流れが用意されています。基礎を幅広く学んで、その中から興味がある、自分に向いていそうであるといった分野・領域を見つけ、これを深く極めていくという学び方が王道ではないかと思います。

経営学部の自慢

 最後に、経営学部は朝日大学では歯学部の次に古い学部ですので、歯学部と同じ学部自慢があります。それは、卒業生がすでに母校の教員となっていることです。
(荒深先生、矢守先生、土井先生、曽我部先生です。みんな若いナア)

 みなさん、本学の経営学部で、将来進むべき方向を見つけ、将来を生き抜くための専門的な知識、スキルなどを磨いて、現在、活躍しておられます。つまり、4人とも進むべき道を見つけ、それで飯を食っているというわけです。

 朝日大学には、勤続40年超という先生方も複数いらっしゃいますので、勤続30年超の私など、まだまだ鼻たれ小僧ですが、私は経営学部のみに所属して、1期生をも教えている経営学部で一番古い教員です。したがって、これを言うと本人たちは本当に嫌な顔をしますが、4人とも私の教え子です。

 身近に、朝日大学の経営学部の学びを実現させたOB・OGがいますので、これ(学びの実現)について何か疑問に思ったことなどが生じた場合は、私か、この4人の先生に質問していただければと思います。そんなことはないと思いますが、もし何かの行き違いで、4人の先生の対応に不満がある場合は、私に言ってください。
 師匠として、厳しく、お説教します。

(『建学の精神と社会生活』〔4月7日〕の講義内容を一部改変)

(注1)経済学では、合理的な思考をする「経済人」の予算制約下での消費行動を考える場合、一般的に財の価格が下がれば消費は増大する。だが、消費が増えるにしたがって、それに対する欲求や、そこ〔=財の追加的消費〕から得られる満足度〔=効用〕が低下するため、それ以上の消費が増大しなくなり[限界効用逓減の法則]、むしろ他の財を消費する方が満足度〔効用〕は高まると考える。他方で、財の価格低下が新規の需要創出を促す側面もある。

(注2)伊丹敬之・加護野忠男著『ゼミナール 経営学入門 第3版』日本経済新聞社、2003年、序2頁。

(注3)下記URLを参照。
『平家物語』の場面で、源頼政に射られた鵺に、家来の猪早太(いのはやた)がとどめをさすところ。国際日本文化研究センター 怪異・妖怪画像データベース
月岡 芳年(つきおか よしとし)1839年生 – 1892年没 作 
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouCard/U426_nichibunken_0068_0001_0000.html

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