ああ、そうなったさ、見事にな!
新型コロナの大何波なのか、オミクロン株Ver.5.0x?なのか分からない状況の中、5月頃に立てた予定の通り、8月中旬に札幌に帰っていた。一応、お寺さんにお参りという名目はあるが、実際のところコロナ禍で3年近く札幌の空気を吸っていないので、息が詰まるような気がして限界だったから。ついでに、息子が「いつも札幌ってすごく良いところだって聞くけど、どんなところか見てみたい」と言ったから。ディープな博物館めぐりはできないが(ウポポイに行きたかった…)、どんな場所かを教えるだけなら、動物園・水族館でも良いのかな、と。
ということで、藻岩山ロープウェイに乗ったり、テレビ塔に上ったり(息子はエレベーターに乗ってからもなお、鉄塔をよじ登るのだと思っていた…父親が平気でウソをつく人間って、どんな気持ちがするんだろう)と、一通りの観光コースは通ったのだが…唯一、無断で連れて行ったのが、写真の石狩川河口(石狩市・はまなすの丘公園)。小樽水族館からの帰り道、レンタカーの中で爆睡しているのが悪い。
この場所は、以前にも書いたことがあるのだが(リンク生きてるかな?)、私を形作る地域表象の強固な一部となっている。別段、特にここで何かのイベントがあったというわけではない。ただ、ここはアクセスがしやすい(無料駐車場から河口までの遊歩道が、片道2kmほど)わりに、自分と空と山と草っ原しかないような感覚にさせてくれる場所なのだ。ある意味、インスタントに「大自然の中に住まう、北海道人としての気構え」を思い起こさせてくれるところと言ってもいいかもしれない。ここに来ると「北海道に帰ってきた」「自分は北海道人なんだ」と、蒸し暑い岐阜での気鬱(失礼)が解放されるような気がするのだ。
ところが、息子には大不評だった。目が覚めたら、予定にはなかったよく分からない野っ原の駐車場で、父親は上機嫌で「これから石狩川河口まで歩くぞ!」。石狩灯台の石碑を見ながら「喜びも悲しみも幾歳月」を歌い出す。写真の木道は歩きやすいが、多くの人が折り返し帰って行く途中の水たまり轍道もズンズン進んでいく。冷静に書き綴っていくと、頭の(一部削除)おかしい親父そのものである。駐車場に帰ってきたら不満顔だったので、「とんでん」で好きな物をたらふく食わせる必要があった(どうやらザンギが好物になった模様…私はいつものように、とびっこの軍艦巻き)。
と、振り返ると、自分自身も彼ぐらいの年齢の時は、こういう場所は好きではなかったな、と思うのであった。石狩浜に父と来た記憶はないが、児童会のイベントで地引き網体験に来た時には、バスの乗車時間は長いわ、小雨は降っているわ、ヤツメウナギしかかかっていないわで、早く帰りたいとしか思わなかったことを鮮明に覚えている。
父が連れて行ってくれた札幌近郊の思い出と言えば…彼の職場の“ピクニック”で行った定山渓天狗岳だな(YAMAPにリンク)。初夏だったと思うのだが、やっぱり小雨の降る中、沢を渡り、どこまでも登っていき、最後は鎖場が…よい山ではあると思うのだが、雲で近くの山しか見えなかった記憶がある。念のためWikipediaを見てみたら、北海道内で道迷いが最も多い山なのだそうだ。というか、自然体験活動指導者の研修を受けた今となっては、あの日の登山は絶対に中止すべきと判断される(1. 渡渉時の水難、2. 天候悪化による道迷、3. 落雷事故)。安全性について一顧だにしない昭和の時代も恐ろしいが、私のようなインドア派がアウトドアのリスクを語るオッサンに変貌しているという、時間の流れも恐ろしい。
だがまあ、良い思い出も悪い記憶も、全てをひっくるめて自分を形作っているのが地域というものなのだろう。私も、無茶な登山(ピクニック)やスキー場で顔に凍傷を負うなどの経験がなければ、野外活動のリスクなんて全く考えもしなかっただろうしなあ。どのような土地で、どのようなタイミングで、どのような経験や知識を積むか。それは個人によって全く違うし、だからこそ、その地域性を活かした知恵や活動が各個人から出てくるのだと思う。
さて、今回の札幌の、北海道の経験は、息子にとってどのような地域表象を刻みこんだのだろうか。本人は、たまたま通りがかった「やきそば屋」の盛りのサイズが大ウケで、丸暗記をしていたようだが…これでもくらえ!死んでも知らねえ!信じられねえ!
最近のコメント