櫻木晋一
今回はラオスでの調査についてお話します。私には中国を起源とする円形方孔銭はどのあたりまで流通していたのだろうかという問題意識があり、ベトナムと国境を接するラオスを調査のために4度訪問しました。首都のビエンチャンだけでなく、観光地として有名なルアンプラバン、ベトナム西隣に位置するシェンクァンなどです。結論から言えば、100年ほど前まではラオスでもベトナムや中国の影響で銭貨が流通していたようなのですが、近代になるとタイの影響がより強くなり銀貨経済圏になっていることが分かりました。歴史的に見てもタイ・ラオス両国の共通性が強いので納得しました。
ラオスは日本と直接往来する航空会社がないので、ベトナムかタイで乗り換えて行かねばならない国です。従って、ラオ航空は日本では見ることができませんので写真を載せておきます。国花の「チャンパー(=プルメリア)」をロゴマークに使っています。最初に到着するビエンチャン国際空港は、総事業費97億円のうち90億円は円借款でまかなわれています。日本の援助があったことを刻んだプレートがあるので、日本人としては少し嬉しくなります。
2015年2月にシェンクァンを訪問した時、オーストラリア大学の考古学調査隊と鉢合わせました。乾季と雨季があるラオスでは、乾季の2月は発掘に適した時期なのです。運の良いことに銭貨が1枚出土していたので、「これは中国清朝の「乾隆通寳」(1736年初鋳)だよ」と教えると、とても感謝されました。私にすれば一瞬で判定できるのですが、普通のオーストラリア人考古学者には銭貨に関する知識がないので、わずかばかりの国際協力ができました。
シェンクァンの山岳部に入っていった際に、舗装もしていない土埃の舞うデコボコ道を数時間は走りましたが、自分が子供の頃の日本もこうだったと思い出しました。目的地であるVAN YIEN村の水田が広がる集落の風景も、どこか日本の原風景と共通していると感じました。ここの寺院で銭貨が出土したという情報を得ていたので、調査に行ったのです。村人から壺のなかに仏具のかけらとともに雑然と入れられた銭貨を見せてもらい、この地域でもかつては円形方孔銭が存在していたことを確認できたのです。
峠付近では山賊が出るということで、われわれに同行してくれた郡役人は短銃を隠し持っており、緊張感のある貴重な体験ができました。近年では観光地として人気が出てきたラオスに、学術調査という仕事で何度も行くことができたことは幸せでした。





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